太陽

福岡市博物館「インカ・マヤ・アステカ展」行ってきました。古代文明大好き!
おなじみチャック・モールもあって興奮しました。写真でしか見たことなかったのに実物が!やー見所満載であたまパンクしそうだったけどおもしろかった!空中都市のジオラマほしい!


インカのミイラにはなんだか穏やかな気持ちになりました。『ミイラになった王は生前と同じように王宮に住み、食事を与えられ、召使にかしずかれて過ごした。時には現世の王と互いに訪問しあい、飲食を共にすることもあった。』なんて話はちょっとほのぼのする。実際に見てみると愛らしいんですよ、インカのミイラ。ミイラになってもずっと愛され大切にされてるからなんだろうな。*1


マヤ・アステカなどの文明における生贄のシステムってのがよく解らなかったのだけど、ちょっと自分なりの考えがまとまってきた気がします。
今まで、いまいち納得できていなかったのが、生贄が他国の捕虜だということ。捧げ物は初めからそうなるべく育てられたものでないといけないという気がして、神への供物を余所から調達するってのはちょっと横着なんじゃないの?とどうしても考えてしまうので。
中央アメリカの神話では、太陽は神々の犠牲によって作られたもので、それが無事に運行するには人々の血肉が必要なのだそうです。生贄は、太陽を中心とした自然の営み、生や死をつつがなく維持するために必要だったということ。
そうなると、自然の営みのうちのひとつである『死』を人の手で与えることによって、自然を掌握しようという考えもあったのかもなぁ、と。そう考えると生贄が捕虜だというのもうなづける気がします。支配下に置いた捕虜を捧げることで、自然をも支配下に置くという。
ちがうかなー。でも生贄として何千人も殺すのは明らかに力の誇示だとおもうのです。だめだ!勉強不足!
死生観についてもすごく興味があります。王は死後も、死後の世界で、世界を支え続けていたと考えられていたそうです。古代文明って、死後の世界を信じているのが多い気がする。やっぱり王は王として永く在りつづけないといけないってことなんだろうか。
今の人達って死後の世界よりも生まれ変わりみたいな考えが身近だけど、そういう考えってどこからきたのかっていうのがずっと気になってるんですよね。キリスト教では死後は神の国に入るので転生ってのはないし、仏教でも死ぬと仏様になるっていうんだったら、転生っていうことはないですよね…?でもダライ・ラマはずっと転生してきてるんでしたっけ。うーんどんなふうな考え方なんだろう…。宗派によって違うのかなぁ。京極さんでそういう話があったはずなんだけど忘れた…。
だめだ!勉強不足!

*1:現在でもミイラが庭に居て、いっしょに暮らしている家もあるそうですよ。