観察者効果

常に考えていること。


いつも拝見しているakio71さんのダイアリで、ひどく心にとまる記事があった。

幼い頃からずっと、自分のことを深く知られたら、必ず相手に嫌われるはずだ、という強迫観念がある。

知り合えば嫌われる確率が0ではなくなる。

好かれればその分、嫌われたとき、幻滅されたときの針の触れ幅が大きくなる。

私を好きな相手よりも、私に無関心な相手のほうが安心するし、私に関心があるのなら、私が実際はどこの誰で、どんな生活をしていて、相手に見える部分以外はどんなふうなのか、なるべく知られたくはない。

好かれた相手こそ、近づけなくなる。興味を持たれると逃げ出したくなる。好かれることは嫌われることにまっすぐ続いているので、自分に好意を持ってくれるような良い人、自分から好きになりたい人こそ、好意を向けてほしくない。遠くに遠くにいてほしい。足を踏み出さないで。

似たような気持ちは、自分の中にもずっとある。人から好かれるはずはない、というよりも嫌われるべき存在なんだという気持ち。
人から好意を寄せられても、相手は私の上辺しか見てないのだから(そりゃそうだ、見せてないんだから)、きっと私の本質を知れば嫌いになるだろうと思っている。とはいえ、あえて嫌われるほどの度胸もないから、上辺だけのままで受け流す。いつかひどい仕打ちを受けたとしても、それで当然だと思う。
好きな人はたくさんいるけど、好きだということにひどくためらう。嫌いな相手に好かれるのはいやだろうと思ってしまうから。今はなんとも思っていなくても、きっと嫌いになるだろうから。
でもそんなことでおどおどしていても、周囲を不快にさせるだけなので、いつだって、何もないようなふりをしている。


好きな人に近付きたくない理由はまだあって、akio71さんが『シュレディンガー』という言葉を使っていて、やっとその理由を説明できるような気がした。
観察者効果という言葉がある。観察するという行為が観察される現象に与える変化を指す。
観察する、というだけで、その対象は変化してしまうということ。それが私にはとてもこわい。
すごく好きな人がいて、その人を思うと、いつだって膝をついて泣き喚きたくなるような気持ちになる。
私はその人に絶対近付きたくない。私にどのような感情を持ったとしても、そのせいでその人は変化してしまう。どんな些末な変化だとしても、絶対にそれを望まない。その人が変わることを望まないのでなく、私が原因になることが、とても赦されないと思った。
触れられないところに居て。
その人の暮らしが穏やかなものでありますように。ただそう祈るよ。